top of page
執筆者の写真クリフォード

「江差追分」

「心の故郷 日本の民謡」シリーズの「北海道民謡編 第一集」に収録されている、

「江差追分」を故藤尾氏の解説でご紹介します!


追分節は信州追分宿にはじまる。

碓氷峠の馬子唄を追分宿の飯盛女たちが酒宴の席で唄ったのが始まりと云われる。

信州育ちの追分節はまず越後に定着し、北前船の船頭達により酒田追分、本庄追分、そして北海道に渡って江差追分となった。


江差の繁栄は江戸の中期からで鰊漁の拠点として東北、北陸地方からヤン衆と云われる出稼ぎ人や遊芸人も多く集まった。

鰊漁が不漁となるとともに町が不景気となった明治の末期に、町の古老が復興に努力し、現在に続いていいる。





CDアルバムの購入はこちらから


唄本「大文字 日本の民謡」にも収録されています。




0件のコメント

最新記事

すべて表示

「長崎ぶらぶら節」

「心の故郷 日本の民謡」シリーズの「長崎民謡編 第一集」に収録されている、 「長崎ぶらぶら節」を故藤尾氏の解説でご紹介します! 江戸時代、外国との窓口として開かれた長崎港、南蛮人や唐人で賑わった丸山遊郭一帯で唄われたお座敷唄である。 長崎の代表的な年間行事を唄っている。...

「相川音頭」

「心の故郷 日本の民謡」シリーズの「新潟民謡編 第二集」に収録されている、 「相川音頭」を故藤尾氏の解説でご紹介します! この相川音頭は一名御前音頭とも言われた。 慶長より元和時代にかけて、佐渡相川の金山が最も栄えた頃に盆踊りとして踊られていた。...

「玄如節」

「心の故郷 日本の民謡」シリーズの「福島民謡編 第二集」に収録されている、 「玄如節」を故藤尾氏の解説でご紹介します! 唯一の会津生まれの民謡で村祭りになると神社境内はいっぱいになり唄いはやされたという。 唄の意味は、若松市丁寧寺に玄如という小坊主がおり大変な美男子だったと...

留言


bottom of page